神経症と周囲と社会の受け入れ態勢

 

           

神経症のカミングアウトと受け入れ態勢
働き盛りの時に鬱状態になって、会社を休職したり、やめざるを得ないことが多い。また一方的に解雇されることもある。
また若いうちに神経症に陥り、社会に出ることが困難という場合もある。そうなると、希望の職業を選べないばかりか、やりたくないいわゆる3Kの仕事や人と接点がない仕事を選ぶ。要するに、神経症に陥ると、非常に働くことが制限されてしまうということである。人生のやりたい目標・夢のほとんどすべてがなくなってしまう。ひどい話だと、上司に鬱病を正直に打ち明けたら、即解雇されたという。日頃の仕事態度(鬱病時)から見ての解雇だったのだろうが、いかに企業に神経症が理解されていないかを表す出来事である。(最近は薬品会社が鬱の認知向上をたくさんうっているが)。鬱に関してはだいぶ認識も「心の風邪」だと改められてきている。とはいえ、まだまだ十分ではないし、家族に鬱病患者が出たら、どうしていいかわからないのが実情だろう(薬物療法という手もあるが、その怖さについては後述する)
カウンセリングはすでに手法が完全に受け入れられている(ニュースでよくカウンセラーを派遣と耳にした ことがあるだろう)
とはいえ、 心の病みをこじらせる前段階に非常に効果的なのであって、神経症にどっぷりとつかってしまうと一気に効果が薄れてしまうという(だがやらないよりやったほうがよい)
鬱病やパニック障害(不安神経症)は知識がない人でも心のトラブルだとわかるから理解もされやすいほうだろう。
だが対人恐怖症は、症状の性質上、家族にいうのもはばかれるし、知られないように必死で努力する。恥と罪の意識が非常に強いためだ(これは日本人論にもつながってくる。圧倒的に日本人に多い症状だ)また、「人によく思われたい」という人が陥りやすいため、正直にうちあけることができないのだ。ずっと孤独で悩み続けなければならない。
強迫神経症にかんしては、周囲はちょっとおかしいな? と思うが、その重さまで計りかねるところがある。重くなったら、周囲の人も、強迫神経症の人の症状につきあわなくてはならなくなる。たとえば、強迫的な潔癖症の人の場合、周囲に人に協力してもらわないと非常に心がかき乱される。

受け入れ側の問題
では周囲の人は、神経症となった人にどうさせていけばいいのか? 医者やセラピストとの信頼関係が非常に重要なのだが、特に鬱病の人の場合、治療する気力までなくなっているため、周囲の人が頑張っても、治療まで結びつかないケースが多々ある。また当然、各神経症に対する知識がないため、なにをさせていいかわからない。なんと言葉をかけていいかわからない。「頑張れ!」という言葉は神経症に対しては禁句なのではないか? へとへとになるまで思い悩んでしまう。同情しようとしても、相手は「わかるはずがない」という頭である。逆の立場なら皆そう思うはずだ。励ましていいのか、叱咤すべきか、同情すべきか、慰めか家族も友達も恋人もみな悩んでしまう。実際、相手の神経症の苦しさはわかりにくい。由々しき問題だろう。となると専門家に相談するしかなくなるのだが、心の問題を人に相談しに行くこと自体がまだまだ「恥」の社会である。自力で立ち直って欲しいと思うのだが、それもかなわない。心の悩みは共有できないと思うべきなのだろうか?

家族に思い切って心の苦しさを打ち明けた人がいる。しかし家族の反応は期待したものではなかった。まったく理解されず、気のせいにされた。こういうケースがたくさんある。悩みが家族に受けられない以上ますます自己嫌悪に陥ってしまったという。これも周囲と悩む人のギャップだろう。だからこそなおさら社会には受け入れられないことなのだ。 

経済問題
神経症は苦しい。なんとかしてよくならなければ未来はない。そのためにはセラピーなどを受けなければならない。薬物療法は保険がきくため安いが副作用が怖い。各種民間セラピーに関しては高い。そこで重要な問題となって降りかかってくるのが、経済的問題である。対人恐怖症や鬱病、パニックを筆頭として、仕事ができない、または非常に支障が出るという問題がある。つまり収入が少ないのだ。親などお金を援助してくれる人がいればいいが、なかなか悩みを打ち明けにくい。そしてなけなしのお金を費やしても効果が得られないところが圧倒的に多い現状である。つまり生きていくこと自体がどちらにいっても地獄に近い状態なのだ。身体での障害に関しては国からの援助もある。だが神経症という症状についてはまったく援助がない。おそらく外見的、物理的に判断できないからだろう。だから今後もあり得ない可能性がとても強いのだ。現在でも、悩んでいる人は悩みとお金と生活に苦しんでいる……。

悩んでいる人の職業
さて神経症で苦しんでいる人が、興味ある職業の第一位がカウンセラーである。もっとも、目標がない、思い浮かばないという人が圧倒的に多かった。カウンセラーは自分の苦しんだ経験を生かしたいということが主な動機である。せっかく苦しんだのだからどうにかして役立てたい! 今度は人助けをしたい! といったものだ。たしかに何にも経験していない人より心の痛みを知っていると言うことで信頼できそうだ。現在、心を扱う職業に就いている人は、心の危機を経験した人が多いだろう。

就けるかというとまた別問題だ。ずるずる悩みを引きずってしまっては、カウンセリングの時に、相手の悩みを吸い取ってしまう。カウンセリングはそうとう根気と忍耐のいる仕事だそうだ。実際はどんな職業に就いている人が多いのだろうか? 無職は当然ながら多いだろう。いわゆる「待ち組」という存在ではない。待てるだけの目標がない人が多い。人と接しない職業も多い。コンピューターを扱う仕事だ。一人で黙々と出来る仕事を好む。職業を転々とする、長続きしないという人もたくさんいる。女性は結婚して家に入れば働かなくてすむ。専業主婦という職業を選ぶ人が多い。一見ひとまず安心と言うところだが、母親同士のつきあいや夫の家族とのつきあいが待ち受けている。生活のために嫌な会社に通い続けている人もいる。共通しているのは仕事が楽しいという思いは少ないということだ。

(YUTAKA MATSUZAWA)

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